マッチ先生が贈る今月の一句ー6月 マッチ先生が贈る今月の一句ー6月

「幼少の茅(ち)の輪くぐりを懐かしむ」

 

真夏を思わせる日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。5月は国民の祝日もあり、全国的にも様々な行事があって、華々しい月といったイメージがありますが、6月は祝祭日がなく、時の記念日などの記念日はありますが、何となく地味なイメージがありますね。

でも、古人は6月の晦日を、半年に一度の「禊(みそぎ)」の日と定め、12日31日の大晦日と同様に、罪やけがれを祓(はら)う儀式を盛大に行っていたようです。その片鱗が今でも窺えるのが、神社に設置されている「茅の輪」。うちの近所にもあります。幼少期、意味もわからずにくぐった記憶があります。

「風そよぐならのおがわの夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」家隆

百人一首に詠まれた和歌です。実際には旧暦の6月は現在の7月下旬ですから、夏の終わりということになるのですが、現在はこれからが「酷暑」。花火大会や盆踊りのような夏の行事が目白押しですね。今を生きる私たちですが、昔から受け継がれてきた行事に目を向け、日本の伝統文化を味わってみませんか。

マッチ先生が贈る今月の一句ー5月 マッチ先生が贈る今月の一句ー5月

長雨に喜んで咲く茄子の花

6月を前にして、九州では早くも梅雨入り宣言が出されました。関東地方でも曇りがちの日々、まもなく梅雨入りと思われます。
梅雨というと、鬱陶しいなあと感じたり、なんとなく気持ちが重くなったりすることはありませんか。

私は朝目覚めて雨が降っていると、家から出たくないなあと思うことがあります。でも、最近少し感じ方が変わりました。それは、夏野菜の栽培を始めてからです。現在、我が家のベランダには茄子とパプリカの鉢植えがあります。ご存じの方もあると思いますが、夏野菜である茄子とパプリカは、暑さに強いものの、水切れには弱く、少しでも水を切らすとしおれてしまいます。昨年は、水を切らして枯らしてしまいました。ですから、雨の日は、茄子もパプリカも生き生きして、たくさん花を咲かせてくれます。

茄子とパプリカを育ててみて、植物の場合と同様に自分にとっては心地よいことでも、他者にとっては快いとはいえないことがあるのではないかと、改めて気づかされました。

人は往々にして、ものごとを自分目線でとらえてしまいます。しかし、他者と自分とは同じではないということをもう一度考えてみる必要があると思います。他者の立場に立ってものごとを見、考えるとき、思いやりの心も生まれ、対話もできるのではないでしょうか。

現在、世界中で継続している対立、戦争も、まず他者の目線になることで、対話や和解が生まれると信じています。

マッチ先生が贈る今月の一句ー4月 マッチ先生が贈る今月の一句ー4月

「公園の青柳風にしないたる」

「朝日浴びて光るがごとき草若葉」

2025年度が始まり、まもなく三週間が経とうとしています。光塩祭の終了とともに高3が引退し、高2がリーダーシップをとることになります。

4月は、新旧交替の時期。様々なことがスタートします。木々も新しい葉をつけて春の日差しをいっぱいに浴びています。春に出てくる葉っぱは濃い緑色をしている夏の葉と異なり、黄緑色をしています。私は、この、最初に出てくる葉の色が大好きです。この淡い色がどのように変化していくのかと想像するだけでわくわくします。

光塩祭でのパフォーマンスを終えて後進に道を譲った高3生を見ていて、立派な「葉っぱ」に成長したことをひしひしと感じました。殊にこの高3は、コロナ禍で入学式もなく始まった中等科生活だったので、その成長ぶりに感慨も一入でした。

今年度も光塩女子学院では、新入生たちを迎えました。この新入生たちが、光塩での学校生活を通してどのような色に変化していくのか、その成長ぶりが楽しみです。

 

 

マッチ先生が贈る今月の一句ー3月 マッチ先生が贈る今月の一句ー3月

「さまざまの事思ひ出す桜かな」芭蕉

3月に入ってからも寒い日が続き、東京でも雪が降ることがありましたが、ようやく冬将軍から解放されそうですね。これまで寒かっただけに急に暖かくなって、桜が一気に咲く気配。本当の春はもうそこまで来ています。桜は蕾の状態ですが、梅は盛りを過ぎ、海棠はすでに咲き始めています。咲く時期は異なりますが、いずれもバラ科の植物です。桜はご存じのとおり、花見の定番として多くの人に愛でられますが、梅の上品な香もまた、古代から和歌に詠まれ、愛されてきました。海棠の華やかな様は楊貴妃になぞらえられ、もてはやされています。

このように植物たちは、同じ科であっても、それぞれの個性を持っており、優劣などつけられません。私たち人間も同じです。皆それぞれにかけがえのない存在なのです。

書家で詩人でもある相田みつをさんは、「自分が自分にならないでだれが自分になる」という言葉を書いていますが、本当にそのとおりだと思います。

4月から新しい世界に入っていく皆さん、ぜひ自分のまま、置かれた場所で花を咲かせてくださいね。応援しています。

最後に門出する皆さんに、駄句を一句

「旅立ちに幸あれと祈る親心」

 

マッチ先生が贈る今月の一句-2月 マッチ先生が贈る今月の一句-2月

「凍返る山の向こうは銀世界」

「春疾風我が物顔に道を往く」

 

立春を過ぎてもなお寒い毎日にもどかしい思いの今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

今日は、御年97歳の友人についてお話ししようと思います。正確に言うと「母の友人」なのですが、母が亡くなった後は、娘の私がお付き合いさせていただいています。私の母は、晩年の10年余はずっと車椅子の生活で介護状態でしたが、同い年の友人ときたら、今も自分の足で歩き、入浴も一人でし、ちょっとした家事は自分で行っています。そして、驚いたことには、つい最近までシャンソンを習っており、いまだに年に何回か好きな歌い手さんのリサイタルに行っているのです。また、友人は週に一度は私に電話をくれます。話題も豊富、記憶力も私よりいいのではないかとさえ思われます。いわゆる健康寿命が長い方と言えるでしょう。

さて、いったい何が健康寿命の長いゆえんなのでしょうか。お話ししていて気づくのは、いつも何かに興味や関心を持っており、その興味や関心を持っている事柄に積極的に取り組む姿勢があるということです。もう何歳だからとか、足が衰えてきたからとか言ってあきらめてしまわないという姿勢です。飽くなき探究心とでも言いましょうか。自分に見切りをつけてしまわないということ。もちろん自分の限界を知ることも大事ではありますが、「どうせやっても無駄だから」といった安易な諦めをしていないということです。つい先日も友人からだいぶ先のコンサートに誘われました。

この元気な友人のおかげで、今日も私は励まされています。本当にかけがえのない友人です。

マッチ先生が贈る今月の一句ー1月 マッチ先生が贈る今月の一句ー1月

「まがも鳴く池の面を渡る風」

「朝まだき吐く息白く身震いす」

まもなく立春を迎えますが、まだ寒さが身にこたえますね。公園の池に浮かんでいるまがもたちもこころなしか寒そうです。早朝、出かける際も吐く息が白く、思わず首をすくめてしまいます。

けれども、耳をすますと確実に春が近づいていることがわかります。それは、鳥たちの囀りです。12月には聞こえなかった鳥の声が空に響きわたります。都会にも意外にたくさんの種類の鳥がいるのをご存知でしょうか。先日、国立科学博物館で開催中の鳥の展覧会をみてきました。家の近所でほぼ1年じゅう見かけるのはカラス、スズメ、ムクドリですが、春先になるとメジロやシジュウカラの合唱が始まります。鶯の鳴き声は皆さんよくご存じだと思いますが、メジロやシジュウカラも鶯に負けないくらい美声です。私はメジロとシジュウカラの大ファンで、彼らの声を聴くと心が躍ります。シジュウカラが「ことば」を持っているのは現代にはよく知られているようですが、いにしえ人も鳥の声に耳を傾けていたというのは、詠まれた和歌が物語っています。

かの有名な『古今和歌集』の仮名序にも「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聴けば生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と書かれています。ですから春の訪れを鳥たちも寿いで鳴いているのでしょう。ともすると人間は、周りのすべての生き物たちが自分たちのために存在していると勘違いしてしまいます。そして、他の生き物たちを、ひいては自然をないがしろにし、破壊してしまうのです。絶滅危惧種の鳥の写真を見て、人間のおごりを感じました。鳥の展覧会は、私たちに、自然の偉大さを伝えるとともにそれを破壊しつつある人間への警鐘を鳴らしてくれました。

皆さんも春を告げる鳥の声に耳を傾けつつ、限られた自然への慈しみを感じていただけたらと思います。

マッチ先生が贈る今月の一句ー12月 マッチ先生が贈る今月の一句ー12月

「冬うらら日向で遊ぶ子どもたち」

冬の日差しの中、のどかに遊ぶ子どもたちを見て、世界中の子どもたちの幸せを祈りを祈りながら詠んだ一句です。

光塩では毎年12月にクリスマス会を行います。そこで直接会うことの難しい「もう一人の友」について考える機会を持つのですが、今年はアルペ難民センターのスタッフの方から、お話を伺いました。その内容についてはダイアリーのほうをお読みください。私がこの話題をここに出したのは、先日行われたノーベル平和賞授賞式に日本被団協の代表の方が挨拶されたことに繋がると感じたからです。被団協とは、日本原水爆被害者団体協議会の略ですが、被爆者たちが声を上げるまでには相当のご苦労があったとのこと。被爆者たちは、原爆症に苦しめられたばかりか、同じ日本人からの「差別」にも相当苦しめられたと言います。「原爆病」がうつるといった誤った考えが人々の間に広まり、被爆した事実を隠しながら不自由な生活を強いられた人々がたくさんいました。その被爆者たちが声を大にして「核兵器廃絶」を叫んだのはいつまで経っても絶えることのない戦争と核を戦争の抑止力にしようと考える核保有国の核兵器増強に危機感を持ったからに他ならないと思います。

そもそも戦争が起こるのは、自国の利益のみに執着することによります。自国民に利益をもたらすために、他国民や他民族を排除する―そこから戦争が起き、排除された人々が行き場を失って難民になる。被爆者たちの中にもまだ国家による補償を受けられずにいる人々がいます。イエスキリストも馬小屋で生まれ、貧しい人々からの祝福を受けました。説教の度に「大工の子」として蔑まれたイエス。私たちは、どうして人を「差別」するのでしょうか。みな同じ「人間」ではないでしょうか。クリスマスを過ごすときに、自分のことだけでなく、「差別」に苦しんでいる人々のことを少しでも考えて過ごせたらいいなと思っています、

マッチ先生が贈る今月の一句ー11月 マッチ先生が贈る今月の一句ー11月

襟立てて家路を急ぐ冬の夜

最近、ようやく冬らしい気候になってきましたね。みなさん、寒さ対策していますか。

身体を温めるというと、まず思いつくのがお風呂。私は温泉が大好きなのですが、歩いていかれる距離には残念ながら温泉は見当たらず、といって自宅の狭いお風呂では味気ないので、時々歩いて行かれる距離にある銭湯に入っています。近頃の銭湯は、なかなか凝っていて、マッサージ効果のある浴槽や、薬湯、露天の浴槽、さらには遠赤外線サウナまでついているところもあります。露天風呂に首まで浸かって夜空を眺めていると、とてもリラックスし、本当に幸せな気分になります。身体が十分に温まってから入る水風呂もまた格別で、よく「ととのう」と言われる理由がわかります。使う水に凝っている銭湯もあり、軟水はとても柔らかく、皮膚にやさしい感じがします。

身体を温めるためのもう一つの方法は食べ物。私は、ショウガやネギなどの身体を温める食材をふんだんに利用しています。酒粕を入れた粕汁も冬場には欠かせないものになっています。11月に入ってから全国的にインフルエンザなどの感染症が流行り始めましたが、身体を冷やすと免疫力が下がって風邪などに罹りやすくなるそうです。これからの季節、内からも外からも身体を温めて、寒さを乗りきりましょう。

マッチ先生が贈る今月の一句ー10月 マッチ先生が贈る今月の一句ー10月

「天高く食も学びも進む秋」

中間試験が終わり、試験の結果に一喜一憂している方も多いことでしょう。「この教科は苦手だから勉強しても無理」、「私にはこの教科の面白さがわからない」といった声も聞こえてきます。

でも本当にそうなのでしょうか。学習してもどうしようもないのでしょうか。確かに得手不得手はあるでしょう。好き嫌いも当然あると思います。実際、私もそうでした。どうしても点数が伸びない科目がありました。その一つが数学でした。苦手なうえに難しい定理や公式を覚えても日常生活に活用できるとは思えなかったからです。とりあえず、買い物のときに困らない計算だけできればいいのではないかと思っていました。ですから、数学の授業や試験は、単位を落とさないためだけに受けていた気がします。

社会人になってからも、数学に関する本は読まず、数学とは無縁の生活を送ってきました。それが、偶然、テレビで数学をおもしろく学ぶ番組を見ることがあり、数学に興味を持ちました。これまで、日常生活と関わりがあるとは思えなかったのが、ケーキの切り方や座席の座り方、物の量り方など、日常生活の例を挙げて非常に解りやすく説明されていて、「ああ、こういうわけでこの答えにたどり着くのだ」と、目から鱗の思いでした。

60の手習いと言いますが、学ぶ気持ちさえあれば年齢に関係なく新たな発見ができるものなのだなと実感しました。

皆さんも、食わず嫌いせずに「かじって」みませんか。そこから何かとの劇的な出会いがあるかもしれません。

マッチ先生が贈る今月の一句ー9月 マッチ先生が贈る今月の一句ー9月

  「スポーツを通して結ぶ友情を」

 「人文字に祈りを込めるPX」

2024年はオリンピックイヤー。世界中の人々がパリに集い、熱い闘いが繰り広げられました。選手たちの涙には、様々なドラマが窺えました。

そして光塩女子学院でも体育祭が開催され、そこにも笑いと涙がありました。全力疾走する選手たちと声を嗄らして応援する観戦者たち。オリンピックやパラリンピックにも劣らないその熱量に、私の胸も熱くなりました。

オリンピック・パラリンピック選手たちと同様、体育祭でも選手たちは応援を通して支えてくれた周囲の人々へ、感謝の言葉を述べていたのが印象的でした。

スポーツというものは、日々の鍛錬を通じて身体だけでなく心も成長させてくれるものだということをあらためて感じた日々でした。