創立者 福者 マドレ・マルガリタ(1884-1934)
光塩の設立母体である「ベリス・メルセス宣教修道女会」(スペインのベリスに本部)のシスターだったマドレ・マルガリタは、1928年(昭和3年)に8人のメンバーとともに、日本に学校を設立するために来日し、現在の光塩の礎を築いた。その際、当時の日本人が、互いに深々とお辞儀をし合う謙虚な姿に感銘を受け、スペインに帰国後も、「日本の学校の設立を実現させるためならば、水とパンだけで長い間生きる犠牲をもいとわないと信じてください」と手紙に書き残している。
校名の由来
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(マタイによる福音書5章13~14節)
上記の聖書の言葉から校名「光塩女子学院」が生まれました。「人は誰でもかけがえのない存在で、ありのままで神から愛されており、一人ひとりはそのまま世を照らす光であり、地に味をつける塩である」という意味です。
設立母体「ベリス・メルセス宣教修道女会」
13世紀初頭、他教徒に捕えられたキリスト教徒を救うために、「友のために命を与えるほど大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)を旨にスペインで設立された「メルセス会」を源とする。
「ベリス・メルセス宣教修道女会」は、20世紀にマドレ・マルガリタたちが中心になって進めた改革によって誕生した。修道女たちは、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のまま残る。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12章24節)と言う聖書の教えを心に秘めて、世界各地に旅立った。光塩の設立も、この流れの一環にある。
学院の沿革
1931. 2 |
光塩高等女学校設立認可 |
1931. 4 |
光塩高等女学校開校 |
1947. 4 |
光塩女子学院と改称 高等科・中等科・初等科を置く |
1955. 5 |
光塩女子学院幼稚園開園 |
1956. 3 |
創立25周年記念式典を挙行記念事業として、長野県四阿 高原に夏期林間学校を設立 |
1959. 12 |
2号館建築(中等科校舎) |
1963. 12 |
1号館建築(高等科校舎) |
1965. 6 |
1号館建築(初等科校舎) |
1968. 4 |
日野幼稚園開園 |
1979. 4 |
3号館建築 |
1980. 10 |
創立50周年記念式典を挙行 |
1990. 1 |
4号館建築 |
1995. 6 |
四阿高原の山荘新築 |
2001. 3 |
5号館建築 |
2001. 9 |
1号館コンピュータルーム設置 |
2001. 12 |
創立70周年を祝う |
2006. 10 |
創立75周年と創立者マドレ・マルガリタの列福を祝う |
2008. 8 |
新2号館(中等科校舎)竣工 |
2016. 8 |
新1号館(高等科校舎)第Ⅰ期工事 竣工 |
2018. 3 |
新1号館(高等科校舎)第Ⅱ期工事 竣工 |